基礎研究

キャッシュレス化の進展と各国事情

役職名
主管上席研究員
執筆者名
中川 淳

2017年7月21日

代金の支払いに現金をあてない「キャッシュレス化」は世界で着実に進みつつある。しかしその進み方および内容は各国で異なり、米国主導とは必ずしも言えない。 例えば中国・他の途上国では独自の形で近年急激に進化しつつある。日本はむしろ現状が便利なこともあってその進展は遅い。イノベーションの導入速度は社会事情を反映していると言える。

1.決済はフィンテックの本丸

「フィンテック」はファイナンスとテクノロジーを掛け合わせた造語である。個人にとってはスマホ等を使った便利な金融サービスと考えてよい。 その主なものは図表1のとおりで、一部に聞きなれない用語が使われているものの、従来のサービスと大きく異なるものではない。そして個人にとって最も身近なのが「キャッシュレス決済」であろう。

キャッシュレスというとすぐに頭に浮かぶのが、クレジットカードと電子マネーである。クレジットカードは昔からあるため元祖フィンテックの一つである。 電子マネーも日本ではJR系のスイカ(東日本)や首都圏私鉄等のパスモは定期券・乗車券の代わりとして定着している。 その他に流通系のナナコ、ワオンや楽天エディ、ドコモのiD、JCBのクイックペイ等がそのサービスを競っている。

そして最近急速にその存在感を高めているのが「モバイル決済」(多くがスマホ決済)であり、スマホをかざして使用する近距離通信(NFC)を利用した方式とQRコードを読み込む方式の2つがある。前者の代表が米国で始まったアップルペイや日本の「おサイフケータイ」であり、後者の代表が中国のアリペイ(支付宝)やウィチャットペイ(微信支付)である。

2.キャッシュレス化の進展

クレジットカードや電子マネーの利用は日本において順調に増えている。またアップルペイが昨秋より日本でもサービス提供が始まり、中国からの旅行者を中心としたインバウンド需要対応からQRコード決済を導入した加盟店も増えつつある。 そうするとキャッシュレス比率は時間とともに高まり、先進国であり世界最大の経済規模を誇る米国の動向を世界は追う形になるのだろうか。実はそれほど単純な動きとはなっていない。

国ごとの統計数字を確認してみると図表2のとおりである。実際のところ米国は平均的で、韓国・中国・英国が高く、日本とドイツが低い。この中で最も後発のインドが低いわけではなく、米国とそれほど変わらないことも注目に値する。なお韓国はもともと日本同様に現金志向が強かったものの、政府がクレジットカード利用促進策を採用し所得控除等のインセンティブを与えたことでカード決済比率が急激に高まった。したがって現金志向は文化の問題というよりは経済要因によって変えうる習慣の問題と言える。

経済先進国が必ずしもキャッシュレス先進国ではない

3.米国はカード大国

米国は国土が広く、日本に比べ都市集中していない。そのため現金引き出し等に使うATM(現金自動受払機)網充実が難しく、しかも現金は強盗にあうリスクがある。 したがってキャッシュレスのニーズが強く、クレジットカード(後払い)・デビットカード(即時払い)を早くから開発・充実させたカード大国である。 代表的なビザやマスターカードは米国でスタートした国際ブランドである。

しかし一方で米国は格差社会であり、貧困層は銀行のサービスを十分受けられず、銀行口座を持てないケースも多い。 よってカード決済を利用しない層も厚く、かつ高齢層は現在も小切手を使うケースも多いため、カード決済比率がそれほど高くない。 ただし銀行のサービスを十分受けられない層にも金融サービスを提供することをビジネスチャンスとみなすフィンテックベンチャーが出現し、米国のフィンテック隆盛に貢献しているという面もある。

また米国はメガIT企業の本拠地であり、IT技術の高さがフィンテック隆盛の背景ともなっている。 アップルはスマホの販売だけでなくスマホを使ったサービス拡充に注力しており、金融サービスではスマホ決済のアップルペイをスタートし、カードからスマホへの移行を戦略としている。

4.中国はQRコード決済大国

中国の支払い用カードはほぼ銀聯(ぎんれん)カードが独占的地位にある。 銀行口座開設時にキャッシュカード(現金引き出し用)と一体のデビットカードが発行され、それが利用される。信用供与が必要なクレジットカードはあまり使われていない。 中国では偽札リスクが高く、高額紙幣は100元(約1600円)が上限で、そのためキャッシュレスニーズが強い。 中国銀聯は2002年に設立された銀行決済ネットワークであり、銀聯カードは中国の決済サービスを大きく変えた。

しかし現在最も人気がある決済サービスは銀聯カードではなく、IT大手が提供するアリペイ、ウィチャットペイである。 それらは買い物客がスマホに表示したQRコードを店が読み取る、または店のQRコードを客のスマホが読み取ることによる決済である。 店舗にとって導入および運営コストが低く、顧客にとっては買い物の割引情報等を入手できるといったメリットが大きい。

もちろん中国でもアップルペイ等の最先端の近距離通信を利用した決済サービスもある。 しかしアリペイ等が優勢で、その一因はアリペイのアリババ(Eコマース)、ウィチャットペイのテンセント(オンラインゲーム、チャットアプリ)といったIT超大手が高い市場占有力を持ち、 便利なサービスを幅広く実現したことである。中国では急速な経済発展を遂げつつ一足飛びにスマホ保有とIT化が進み、高度かつ低コストの新サービスが普及した。 一方で近距離通信を利用した決済は処理が速いものの店舗側の導入コストが高く、拡がりが弱い。

5.その他の途上国のキャッシュレス化

中国はまだしもインドのカード決済比率が高いことも驚きである。インドはスマホの普及が近年進み、スマホ決済が伸びている。 しかも2016年11月に高額紙幣の廃止を発表し、それをきっかけに更にキャッシュレス化が進みつつある。 一方、多くを占める貧困層は銀行口座を持たず、高額紙幣を使うことがもともと少ないことも事実で、影響を受けているのは富裕層および中間層である。しかしその層が急拡大しているのが現在のインドである。

アフリカの途上国においてもスマホ決済が普及している。銀行店舗は一部都市にしかなくともスマホは多くの人が持つ。 スマホを扱う代理店のネットワークを使い送金等ができるサービスが人気である。代表的なものはケニアのエムペサであり、とにかくスマホがあれば利用できるという利便性が評価されている。

6.日本は現金大国?

日本はドイツとならびキャッシュレス化が遅れており、現金大国と言える。 クレジットカードは普及し、電子マネーを多くの人が利用していることから、キャッシュレスの金融サービスがないわけではない。しかし現金決済が根強い。それはなぜであろうか。

おそらく最大の理由は、国土が狭い中で銀行・ATM網が充実、簡単かつ低コストで現金引き出しや送金が可能なことである。すなわち日本は「ATM大国」でもある。

また店舗にとっても現金支払いならばクレジットカード決済にかかる加盟店手数料を支払う必要がない。 その他、偽札リスクが日本は極めて低く、ゼロ金利であることから、日本は現金保有コストが相対的に低いと言える。

7.イノベーションは社会事情を反映

我々は新しいものの普及は先進国が早く、その後に発展途上国に拡がっていくと考えがちである。 しかしキャッシュレス社会は英国・米国が確かに先行したが、中国やインド、それにアフリカ等の途上国でもスマホの普及を背景に進んでいる。 一方で日本・ドイツといった従来の銀行サービスが充実していた国はむしろ遅れている。また韓国のように積極的な推進策を実施した場合、大きく状況が変わることもある。 資本主義のスタートが早かった国と遅れた国の決済の先進度(キャッシュレス進展度)を図にすると図表3のようになり、直線ではなくU字型の関係を描くことができる。

かつてイノベーションの伝播は先進国から途上国という流れが多かった。しかしイノベーションの進み方・普及は社会事情を反映し、単純な公式と異なるケースもある。 そうなると日本が中国・インドといった資本主義の導入が遅かった国々に大きく差をつけられる可能性も十分にある。従来のものが便利なため新しいものの普及が遅れるようなケースである。 これも一種の「イノベーションのジレンマ」であり、十分に考慮する必要がある。

【イノベーションのジレンマ】

クリステンセンが提唱した経営理論である。 既に事業を確立した企業は現在のものを改良することに注力してしまうが、新興企業は既存のものにこだわらないことから「破壊的イノベーション」をもたらすことがある。 その結果、既存企業は新興企業に遅れをとる傾向がある。