コンサルタントコラム

南海トラフ巨大地震の被害予測結果の公表を受けて

[このコラムを書いたコンサルタント]

専門領域
自然災害リスク計量評価(地震・台風)、脆弱性研究
役職名
研究開発部 リスク計量評価チーム 主任コンサルタント
執筆者名
川久保 樹 Itsuki Kawakubo

2012.10.22

「建物の倒壊により8万2千人が亡くなり、その後襲ってくる津波で23万人が亡くなる。さらに地震による火災や急傾斜地崩壊等により1万1千人が亡くなる」―これは2011年8月、内閣府に設置された「南海トラフ巨大地震モデル検討会」が東海・東南海・南海地震のうち、極めて稀なケースと考えられる地震モデル(マグニチュード9クラス)から計算される地震動や津波による被害想定として2012年8月29日に発表したものです。2011年の東日本大震災による被害の記憶も新しい中で、最悪ケースで238万棟の全壊建物数や32万人の死者数という数字が示され、ある種のセンセーショナルなニュースとして伝えられました。具体的な発生確率が示されないほどその発生確度は低いのにもかかわらず、政府の取り組みとしてこのような試算が出されたのは、東日本大震災後に盛んに取り上げられた「想定外」という言葉を意識してのことにほかなりません。

リスク計量の観点では、地震リスクを通常、地震発生や地震波の伝播などのハザードの評価と、建物の壊れやすさなどを示す脆弱性の評価に分けて捉えます。前者については、「地震という現象は複雑系で、実験ができず、低頻度のためデータも乏しい、という三重苦にある。そのため、予測の精度、特に未経験の事象に対する予測精度が著しく低く、地震学の研究成果が防災(将来の災害の防止)に役立つことは非常に難しい.」(2011年災害研究フォーラム、東大地震研・纐纈教授の講演より)ことから、その評価に変動幅が大いにあり得ることを理解しなければなりません。一方、後者については、工学的なアプローチによる長年の研究の積み重ねから、ある程度精度よく予測できるようになっています。ただ、東日本大震災でより顕在化した、天井パネルの落下などのいわゆる非構造部材による被害については、被害予測の定量化に改良の余地がありますし、津波に対する脆弱性についてもその性質上、バラツキが大きくなってしまう事は避けられません。

このようにハザード・脆弱性双方の不確定性を考慮した結果、政府・中央防災会議は「あらゆる可能性を考慮した最大クラスの巨大な地震・津波を検討していくべきである」とし、また「想定地震、津波に基づき必要となる施設設備が現実的に困難となることが見込まれる場合であっても、ためらうことなく想定地震・津波を設定する必要がある。」(2011年9月28日、東北地方太平洋沖地震を教訓とした地震・津波対策に関する専門調査会報告)としています。政府のこのような覚悟の表れが、冒頭のような最悪中の最悪ケースとして公表に至ったものだと考えられます。ただ、これらの検討が現状の建物耐震化率79%であること、そして津波に対して早期避難がなされない仮定のもとでの試算結果であり、耐震化率の向上や迅速な津波避難がなされた場合には損害が大きく低減されることも同時に示されたことは、私たち一般国民にも一定の被害低減のための努力する責務があることを示しているものだと思います。

「人事を尽くして天命を待つ」―天命は事前に人の知りえないものですが、事前に準備できることは必ずあります。こういった最悪ケースの試算結果を前に呆然と立ちつくす、もしくはほとんど起こらないものだろうと看過するのではなく、冷静に対策を積み重ね、被害を最小限に食い止めることが、科学的にマグニチュード9.0の地震発生とそれに伴う大津波を予測できなかった私たちに課されたテーマだと思います。

以上

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